今回は”守破離”の最後である”離”です。これまで”守””基本””破””応用”であると説明してきました。それでは”離”とは何でしょうか。

教科書的に言葉で説明しようとすれば、”離”とは”守””破”の段階を超え、何事にもとらわれることなく自在に振る舞い、独自の境地に至るレベル、といったものになるでしょう。

しかしこれだと”悟り”とは何かを説明するのと同じでどうも釈然としませんね。結局厳しい修行を経て経験してみた者にしかわからない、終了、といった感じです。

何とか我々凡人も少しでいいから”離”の心境を窺い知りたいところですが、そのためにはまずいったい”離”のレベルの人というのはどんな人なのかを知りましょう、ということでこれは紛れも無く”離”のレベルだという弓の名人が出てくる小説をご紹介します。

  中島敦 ”名人伝”(青空文庫)

小説といってもA4で5ページ程度ですし、上記リンクより読むことができますのでできれば読んでみることをオススメします。お急ぎの方は以下要約(ネタバレ)をどうぞ。

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物語は紀昌(きしょう)という主人公が弓の名人になるべく、その時代No.1の弓の達人と謳われた飛衛(ひえい)のもとへ入門するところから始まります。紀昌は師飛衛の命に従い、瞬きをしない、シラミが馬ほどに大きく見えるまで見詰め続ける、といったトンデモ修行を何年にも渡り行った結果、師匠と互角に戦えるまでに腕を上げます。

しかしその後師匠から、甘蠅(かんよう)老師という弓の名人がいて、自分達の技などこの人からしたら子供の遊びであると聞き、自分の腕を確かめるべくはるばる甘蠅老師の住む山を訪ねます。

甘蠅老師は100歳を超すよぼよぼ老人でしたが、紀昌に弓矢を使わず飛ぶ鳥を落とす”不射之射”(ふしゃのしゃ)というスゴ技を見せつけ、それを見た紀昌はそこで9年に渡る修行を行うことになります。

その後都へ戻った紀昌は以前の精悍な顔つきからすっかり無表情なアホ面に変わっていましたが、元師匠の飛衛はこれぞ天下の名人顔と太鼓判、人々はどんなスゴ技が見られるのかと期待しその名声はうなぎ登りとなります。

しかし紀昌は弓に一切触れようとせず、それがまた噂を呼んで都市伝説のようにその凄さが語られるようになったものの、結局その後40年弓を持つこと無く亡くなってしまいます。

そして物語の最後に紀昌が亡くなる1,2年前の話として次のエピソードが語られます。年老いた紀昌が知人宅を訪れた際、見覚えはあるがどうしてもその名前も用途も思い出せない道具があった。紀昌が家の主人にそれは何かと尋ねたところ、主人は最初紀昌が冗談を言っているのだと笑っていたがやがてマジだとわかり超ビビリながらこう言った。”そ、それ弓なんですけど・・・”

※上記歌屋の超訳ですのでご了承ください。
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さて、いかがでしょうか。紀昌が修行の末に至ったのは正に”離”の境地と思われますが、果たしてこれが芸道の求める究極のゴールなのでしょうか?

要約で結構なボリュームをとってしまったので、この”離”については続きを次回に書くことにします。

歌屋ボーカルスクール
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